人吉市の国宝と幽霊

青井阿蘇神社と永国寺 旅行・旅

人吉市に行ってきました。

特に計画をたてていたわけではないですが、行ったところの情報をAIに聞いてみました。

青井阿蘇神社御朱印

青井阿蘇神社について

熊本県人吉市にある青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)は、「青井さん」の愛称で地元の人々に親しまれている、人吉球磨地方の総鎮守です。

特に以下の点で非常に有名で、重要な文化財となっています。

青井阿蘇神社

国宝指定の社殿

・指定の建造物

本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門の5棟が、2008年(平成20年)に国宝に指定されました。

・これは茅葺きの社寺建造物としては日本初の国宝指定であり、国宝建造物としては日本の最南端に位置しています。

青井阿蘇神社
青井阿蘇神社

建築様式と特徴

・造営時期

現在の社殿群は、人吉藩初代藩主の相良長毎(さがらながつね)の発起により、慶長15年(1610年)から慶長18年(1613年)にかけて造営されました。一連の社殿が同時期に造られた例は全国的にも珍しいです。

・桃山様式の影響

中世球磨地方独自の建築様式を継承しつつ、安土桃山時代の華麗な装飾性を取り入れているのが最大の特徴です。

 ・全体を黒を基調とした漆塗りにし、細部は朱塗りが施されています。

 ・随所に龍などの見事な彫刻や華麗な文様、錺(かざり)金具が用いられており、南九州地方の近世神社建築に大きな影響を与えました。

・急勾配の茅葺き屋根

社殿の茅葺き屋根が急勾配であることも特徴の一つです。

・龍の彫刻

御祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)にちなんだ龍の彫刻が多く見られ、特に廊にある一対の龍の彫刻は有名です。

青井阿蘇神社

歴史

・創建

伝承では大同元年(806年)に、阿蘇神社の分霊を勧請したのが始まりとされています。

・祭神

主祭神は阿蘇神社と同じ、健磐龍命(たけいわたつのみこと)、阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、国造速甕玉神(くにのみやつこはやみかたまのかみ)の三神です。

人吉市街地にあり、その豪華で歴史的な建造物の姿は一見の価値があります。

青井阿蘇神社
青井阿蘇神社
青井阿蘇神社
青井阿蘇神社
青井阿蘇神社

アクセス情報

お車をご利用の場合

・最寄りのインターチェンジ: 九州自動車道 人吉IC

・ICからの所要時間: 約10分

・駐車場

 ・神社横に無料駐車場が完備されています。

 ・普通車約30台、大型バス2台分の駐車が可能です。

 ・駐車場が満車の場合は、物産館横の駐車場も利用できるとのことです。

(ただし、観光シーズンや祭事の際は混雑が予想されますので、公共交通機関の利用もおすすめです。)

公共交通機関(電車・鉄道)をご利用の場合

青井阿蘇神社は、最寄りの駅からも近く、徒歩圏内です。

・JR肥薩線「人吉駅」より: 徒歩約4分〜5分

・くま川鉄道湯前線「人吉温泉駅」より: 徒歩約4分

所在地

・住所: 〒868-0005 熊本県人吉市上青井町118

永国寺:幽霊寺の伝説と歴史

熊本県人吉市にある永国寺(えいこくじ)は、曹洞宗の寺院で、正式名称を「蓬莱山永国寺」といいます。地元では通称「幽霊寺」として非常に有名です。

永国寺の歴史

・創建

室町時代初期の応永15年(1408年)に、人吉球磨地方の領主であった相良氏の第9代当主・相良前続公の開基により、実底超真和尚が開山しました。

・相良氏との関係

創建以来、相良氏代々の崇敬を受け、人吉・球磨地域の曹洞宗寺院の本寺として栄えました。

・西南戦争と西郷隆盛

明治10年(1877年)の西南戦争の際、田原坂で敗れた西郷隆盛率いる薩摩軍がこの寺を本営(本陣)としました。この人吉市街戦により、当時の本堂などが全焼しましたが、後に再建されました(現在の本堂は平成29年/2017年に建て替えられたものです)。境内には西郷本陣跡の記念碑が残されています。

永国寺
永国寺

「幽霊寺」の由来と見どころ

永国寺が「幽霊寺」と呼ばれるのは、寺に伝わる「幽霊の掛け軸」と、それにまつわる伝説があるためです。

幽霊の掛け軸(寺宝)

・伝説の経緯

近郷の男の妾が本妻の嫉妬に苦しみ、球磨川に身を投げて非業の死を遂げた後、幽霊となって寺の裏の池に現れ、本妻を苦しめていました。

・和尚の導き

開山の実底超真和尚は、幽霊の姿をあえて醜く恐ろしく掛け軸に描いて幽霊に見せました。幽霊はその姿に驚き、自分の姿の醜さを悟って和尚に引導を請い、無事成仏したと伝えられています。

・展示

幽霊の掛け軸は、西南戦争の戦火でも焼け残ったと伝わる寺宝で、常時レプリカが本堂に展示されています。

 ・本物は年に一度、8月上旬に開催される「ゆうれい祭り」の際に公開されることがあります。

幽霊が出たという池

・本堂の裏には、幽霊が現れたとされる湧水池があります。

・現在は静かで落ち着いた雰囲気で、春にはツツジ、夏にはスイレンなどの花が咲き乱れ、四季折々の風景を楽しむことができます。

仁王門

・最近改築・再建された楼門で、両脇には身の丈2mほどの立派な木彫の仁王像が立っています。

永国寺は、伝説と歴史、そして美しい自然が調和した、人吉を代表する観光スポットの一つです。

幽霊の掛け軸と伝説の詳細

永国寺を「幽霊寺」たらしめているのが、この寺宝とそれにまつわる心霊伝説です。

伝説の背景

人吉藩主・相良家の時代、寵愛された妾(めかけ)が、本妻の嫉妬と嫌がらせに苦しみ、ついに耐えかねて寺の裏を流れる球磨川(または裏の池)に身を投げて非業の死を遂げました。

幽霊の出現と成仏

・妾の霊は、怨念のため成仏できず、夜な夜な池から現れては本妻を苦しめ、呪い殺そうとしました。

・この事態を憂いた藩主(または人々)が、永国寺の開山である実底超真(じっていちょうしん)和尚に助けを求めました。

・和尚は、霊が現れた際にその姿を掛け軸に描き留め、それを幽霊自身に見せました。

・幽霊は、自分がどれほど醜く恐ろしい姿になっていたかを見て驚愕し、深い恥を感じました。自分の姿の醜さ、そして怨念に囚われた心の醜さを悟った幽霊は、和尚に引導を請い、無事成仏することができたと伝えられています。

永国寺

掛け軸の特徴

・描かれた幽霊は、逆立った髪、顔に浮かぶ隈(くま)、胸元から垂れ下がる乳房、そして腰のあたりで消えかかる姿が非常に生々しく、まさに「怨念」を具現化したような恐ろしい姿で描かれています。

・この掛け軸は、単なる見世物ではなく、怨念を抱く霊に、自身の姿を客観視させて悟りを開かせたという、禅宗寺院らしい教訓的な意味合いを持つ寺宝として大切に守られています。

永国寺

西郷隆盛の本陣跡

永国寺は、日本の歴史上極めて重要な戦いである西南戦争において、重要な役割を果たしました。

西郷軍の人吉入城

・明治10年(1877年)、政府軍との激戦地であった田原坂(たばるざか)で敗北を喫した西郷隆盛は、再起を図るため、薩摩軍の兵を率いて南下し、人吉に入城しました。

・西郷はこの永国寺を薩摩軍の総司令部(本営)と定めました。

本営跡

境内の片隅には、「西郷本陣跡」を示す石碑が建てられています。

・この場所は、西郷が指揮を執り、戦略を練った歴史的な場所であり、多くの歴史ファンが訪れるスポットとなっています。

永国寺

寺の焼失

・その後、人吉でも政府軍と薩摩軍の間で激しい戦闘(人吉市街戦)が繰り広げられました。

・この戦いによって、当時永国寺の本堂をはじめとする伽藍(がらん)の多くが焼失してしまいました。先に述べた「幽霊の掛け軸」は、奇跡的に戦火を免れた数少ない寺宝の一つです。

永国寺は、幽霊伝説という民俗的な魅力と、西南戦争という近現代史の舞台という、二つの大きな歴史的側面を持つ非常にユニークな寺院です。

永国寺

アクセス情報

お車をご利用の場合

・最寄りのインターチェンジ: 九州自動車道 人吉IC

・ICからの所要時間: 約15分程度

・駐車場: 境内に駐車場があります。

公共交通機関(電車・鉄道)をご利用の場合

・JR肥薩線 / くま川鉄道線「人吉温泉駅」 より:

 徒歩で約15分〜20分程度です。

・JR肥薩線「人吉駅」 より:

 徒歩で約20分〜25分程度です。

所在地

住所 〒868-0057 熊本県人吉市土手町5−5

拝観時間 8:00~17:00

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