国重要無形民俗文化財「八代妙見祭」とは

妙見祭 亀蛇 ひとりごと

妙見宮は八代市妙見町に位置し、明治以降は八代神社と称されています。この神社は、680年に八代市の現在の位置に創設されたとされ、795年と1160年、さらには1186年にはそれぞれ山頂、麓、そして現在地に神社が建立されました。

妙見祭は、14世紀に名和氏が統治していた時期から存在し、八代が政治・経済・文化の中心地であったことを背景に発展しました。16世紀には、神輿の神幸や舞楽などの行事が行われ、多くの人々が集まっていました。

しかし、1581年に八代が島津氏の支配下に入り、その後の豊臣秀吉の九州平定や検地政策により、妙見宮は荒廃しました。その後、加藤清正が熊本藩主となり、1622年には妙見宮が再建されました。細川忠利が熊本藩主となった1632年以降、祭礼の復興が進み、特に細川家と松井家が中心となって祭礼の整備を行いました。

八代城の建設と共に発展した八代町は、「五か町」として知られ、元禄時代(17世紀末)には町人文化が花開き、妙見祭も豪華になりました。明治維新以降も、伝統文化の保存と継承が進み、2011年には国重要無形民俗文化財に指定されました。

妙見神は、北極星と北斗七星を神格化したもので、天の中心に位置する北極星と時を定める北斗七星の信仰が組み合わさっています。また、海を渡ってきた神としての伝承もあり、亀蛇が霊獣として崇められています。この伝承は、八代が古くから海外交易が盛んであったことを反映しています。

妙見祭
妙見祭
妙見祭 亀蛇

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